ノニ・シンドローム

東長崎の「割烹・坐唯杏」時代に、よく捉われていた考えがあります。


こんなに仕入れも頑張って良いものを仕入れているノニ・・


朝早くから築地に行って、ランタイム・夜の営業も遅くまで頑張っているノニ・・


お金を掛けて宣伝して、店頭にもきっちりと店の事が伝わる様にしているノニ・・


何もかも、上手くいかない事があると「ノニ」の語尾をつけて、責任回避して

いた様に感じます。


ノニ・・の後には必ず、周囲が理解してくれない、伝えたい事が伝わらない、

成果が出ない・・と、自分以外の主語が入ります。



そして、必ず否定的な言葉を使い、自分以外の責任にしようとする。



利益が上がらない、集客に結びつかない、評価されない、理解されない・・と、

続くわけです。



でも、冷静になって考えてみれば、気に入らない事があって10年勤めた会社を辞めて、周囲の反対を押し切って独立し、自分の判断で営業方針を決め、しかも自由に活動できるし、自由に休みも設定できるという、この上ない恵まれた環境にいる事を棚上げしていました。

  

「ノニ」の考え方をしている限り、問題は解決しない事に気付いたのです。

 

 

良い素材を仕入れて、旨い一品を作る・・例えば、kgあたり¥500の鰯の刺身と

kgあたり、2万円も3万円もする鯨の尾肉でも口から入って味を感じ、旨いと

認識するには脳内にドーパミンという物質が分泌されるだけの事。

 

 

その市場価値とドーパミンの分泌量は関係ありません。

 

 

では、何が関係あるかといえばその時の雰囲気や、見た目の美しさ、その素材の情報や、その時の感情です。

 

 

鰯の刺身と、尾肉の刺身を武内が食べれば絶対に尾肉の刺身のほうが感動します。

 

 

それは、尾肉の情報を沢山持っているし、貴重な物を味わおうとする意識が働いているからです。

 

 

ならば、武内の持っている情報を伝えれば鰯の刺身より、尾肉の刺身を美味しく感じられる人間は増える。

 

 

ただ、それだけの事です。

 

 

「ノニ」に捉われていると、そんな論理的な思考が浮かびません。

 

 

ただただ、周囲の人間の理解が乏しいのを嘆き、悲しみ、傷付いて、そして愚痴を

こぼし、文句を言いつつ不満な時間を過ごす事になります。

 

 

まずは、「ノニ」を止める習慣です。

 

 

全ての事は自分が決めて、自分の好きでやっている事。

 

 

当たり前です、だって「たった一度の自分の人生」ですから。