我々、樂旬堂・坐唯杏では酒亭として、また単なる居酒屋としても、

段違いの数をこなしています。


1日の客数が100名から上の修行時代と、大して変わらない

量を扱っていまして、おそらくは居酒屋レベルではトップクラスの扱い量と自負しています。



『東京で鱧と言えば、坐唯杏。』



気軽な価格で、本物を味わう店としては、そんなイメージが

定着したのでは・・・なんて、おこがましい事を考えていますが、

鱧と言う魚は、本当に難しい魚であります。



もう何年も前に、これだけの仕上がりを見せれば、相当な所だろう、

などと思い上がった事を考えていた時期があります。



事実、仕上がりを口にして、他店とは比べ物にならない位の

細かい骨切りを実現して、さらには仕入れる素材も厳選のもの

でしたから、ある程度のレベルがありました。


ところが、やればやるほど高い頂上が見えてくる。


ゴールが遠ざかっていくのを感じてしまうのが、板場の仕事です。


より高い頂が見えて、より遠いゴールを感じてしまうんですね。


正直言って、あの頃の自分はガチガチでした。



力が抜けずに、力づくで骨をぶち切っている様なイメージでした。


49歳になって、力ではなく呼吸で包丁を使う、自然な動きで

包丁を滑らせて、鱧の身に包丁が入っていくのを感じてます。



若い頃には分からない感性が、今になって湧き上がってきた、

そんな感覚です。


武内の頭の中で骨切りの見本としているのは、弥保希時代に

料理顧問をしておられた河野先生の包丁捌き。


見事に力の抜けた包丁使いで、決して細かい骨切りでは

無かったんですが、鮮やかな切れ味を見せて頂きました。



違った意味での手本となったのが、丸の内の弥保希の調理長を

やっているのかな、当時は新宿の住友ビルの52階で調理長を

やられていた方の骨切りですね。



全神経を集中して、まざに精魂込める・と言うような気合の骨切りを

教えて頂きました。



どちらも正解で、どちらも正しい、仕事に対するスタンスです。



ただし、本当に良い仕事をする時は、リラックスした状態で力を

抜いてパフォーマンスだけは最高を目指す。



いや、無に近い状態だからこそ、それまでに鍛錬してきた動きが

自然と出るような感覚でしょうか。



夜の営業中に骨切りした鱧が無くなって、オーダーの合間に

鱧を取り出し、一気に骨切りをする事がありますが、本当に集中して

いると、リラックスしているのに周囲の音や、物が見えなくなる時が

あります。



まぁ、チームのトップとして、どうかとは思いますが、そう言う時の

骨切りは、自分でも納得のいく仕上がりになる事が多い。



骨切りを終えて、ふと気が付くとカウンターの前のお客が

ガン見していたりします (笑



まぁ、カウンターで実際に鱧の骨切りをしている所なんかは

滅多な事では見ることが出来ないでしょうから、珍しいのは

言うまでもありません。



でも、本当にリラックスした状態で集中している時ほど包丁は

早く動いているようです。



思わず、見とれて頂けるのも、そんな時が多いですね。



とにかく、鱧の骨切り体調の思わしくない時や、呼吸が乱れて

いる時は、調子の良い時に比べて絶対に良い仕事は出来ません。



仕事はまず、自己管理ですね。



それと、リラックスと集中を作り出すのは呼吸。



武内なりに気づいた鱧の骨切りについて書いてみました。