武内の自宅には、昭和43年の「専門料理」と言う、我々プロが読む専門誌の古本があります。
温故知新、古い献立には、今もなお斬新な発想が発見されることがあり、事あるごとに書棚から取り出しては眺めています。
その中で、冷たい麺類の特集がありまして、今も主流の冷たい麺類が、すでにこの頃には確立されていた事に驚きます。
その特集で説いている、冷たい麺類のコツをお伝えしましょう。
極めて基本的な事ながら、あらためて納得する3点です。
一点目は、料理はもちろんのこと、器を冷やすこと。
グリーンピースご飯を炊くときに、最近の流行ではさやを一緒に炊き込んで味わいや香りを移します。
蚕豆ご飯のときや、枝豆ご飯のときにも応用されるようになりました。
元々は洋食の手法で、食材の旨味を余すところなく利用するという、実に日本人的な、日本人に好まれる発想です。
炊き込みご飯には、この手法が広く普及して、我々もこんな手法で仕立てるのが常識化していますが、あまり知られていない、ひと味上げるコツがあります。
それはさやを、生のまま使うのではなく、一回加熱してから使うことです。
生の魚に「〆」という字が加わると、多くの方が酢〆を想像なさると思いますが、実は塩で〆ただけでも、この語が使われます。
本日、紹介する木の芽〆も、そんな仕事で皮を引いた魚の上身に塩を当てて、叩いた木の芽をまぶし香りを移す手法です。
木の芽を叩かずに、そのままの形を生かして〆る仕事もありますが、そういう場合は、香りだけを移して木の芽は外してしまうことの方が多いです。
使った素材を無駄なく、利用する点では叩き木の芽を用いるのが理に適った手法です。
また、土佐・室戸から仕入れる地魚の中には、魚の名前がわかりづらくなかなかご注文の入らない魚もあります。
良い例が「モツゴ」、ムツの子供で非常に美味しい魚ですが、なかなか存在感を示せません。
良く聞く料理の名前だと思います、「洗い」。
では洗いとは何なのか、と言いますと氷で締めた刺身です。
ところが、これが活けの魚で無いと洗いにはなりません。
例えば熟成系の刺身の代表格と言えばマグロでしょうが、マグロの洗いなんて物は存在しません。
白身の魚で造る事の多い洗いですが、赤身でも、背の青い魚でも理論的には可能です。
しかも鯖や鯵で造る洗いなら、おそらく美味しいです。
でも洗いにする素材には条件があります。
絶対唯一の条件は身が活かっている事です。
身が活かっているとは、死後硬直の手前の段階で、プリプリした食感、生肉の弾力が最も強い〆た直後を言います。
硬直が始まった身で洗いを造ろうとしても、身がベタベタになるだけで、決してシャキッとは仕上がりません。
「極意」と言う程の、改まった物ではありません。
少し大げさでしたが、ついうっかりすると漬けムラが起きたり、いざという時に使い物にならなかったりするミスがあります。
簡単な事なのですが、漬ける手順をしっかりと覚えておく事です。
例えば、魚の切り身を幽庵漬けにする時など、バットに綺麗に切り身を並べて幽庵の漬け汁をそっと注いで少しでも、つけ汁の調味料を節約しようとする者がおります。
でも、この手順で地漬けをすると、ほぼ間違いなく漬けムラが起きます。
豚汁や筑前煮を作る時に、ものの本では肉を下処理した後で鰹出汁を使って仕立てるのが紹介されています。
でも、我々の間ではあまり鰹出汁と、肉の出汁をかぶらせて使う事はしません。
では、どんな出汁で仕立てるかと言うと、水に昆布を加え、酒をたっぷりと加えた煮汁を仕立てます。
そこで鶏肉や豚肉を炊く事で、旨味が抽出されて良い味わいになってくれるんですね。
むしろ、鰹の出汁が強いと肉の旨味とかぶって、下品になると言う考え方です。
先日、遊び心で「天然真鯛のステーキ」というオススメメニューを載せました。
その場の思いつきで仕立てる一品、大きな鯛の切り身をポワレにして、即席のソースを絡めて召し上がって頂くスタイルで仕上げました。
その場、その場の思いつきで季節の野菜と組み合わせて、天然真鯛という極上の素材をストレートに味わって頂く。
言い方は悪いですが、遊びの中にも料理人としての楽しさが溢れている仕事です。
シンプルな調理法というのは、細かなところに調理技術の高低が、あからさまに表れます。
鯛や鱸など、大きな鱗の魚は、専用の鱗取りの道具を使い、丹念に鱗を外します。
こけひき、ばらびき、言い方は色々とありますが、鱗を取るのは基本的な魚の仕事であり、第一歩と言う初歩的な仕事です。
ただし、この初歩ですが案外難しい仕事です。
と言うのは、左利きの若い者に、魚を卸す卸し方や、穴子みたいな特別な包丁の使い方を教えるのに、左手で包丁を持って武内が実演した事がありました。
案外、卸す時の包丁の使い方は左手でも、ゆっくりとやれば形になります。
でも、利き手ではない左手で1番難しく感じたのが、鱗取りの仕事でした。
けっこう力を入れなくてはならない仕事ですし、角度や力の入れ方に独特のコツが必要です。
天ぷらを揚げる際に、ネタの周囲に散る天かす・・つまり揚げ玉をこまめに掬うのが、基本とされています。
それは、新しい天ぷらに古い揚げ玉が付くのを防ぐと言う意味もありますが、は、もう一つ大切な理由があります。
それは、掬い玉と呼ばれる、天ぷら用の網を入れて油をかき混ぜることでネタの周囲の温度が下がった油と、高温の油を一定にすると言う効果があるからです。
最も重要な天ぷらのコツと言えば、油の温度管理です。
ネタを入れた時に、一気に温度を下げる事無く一定の温度で揚げ切れば、ある程度のクォリティは、必ず実現できます。
油を沸かしている時から、こまめに箸を入れたり、揚げている時も、頻繁に揚げ玉を掬う事で、鍋の中の油の温度ムラを解消しているのです。
以前、樂旬堂・坐唯杏で働いていた武内と同じ年の煮方のスペシャリスト。
彼の仕事には、ピンポイントで魂に響くと言うか、思わず感嘆の声を上げる様な仕事がよく、出てきました。
その中のひとつ、彼の煮穴子は絶品です。
大きな浅鍋に湯通しした穴子を並べて、重石を掛けながらぴったりと平面に炊き上げる技は、武内も何度か挑戦しましたが、彼ほどの綺麗な仕上がりには至りませんでした。
浅鍋にクッキングシートに切れ目を入れた物を敷いて、その上に穴子を並べます。
更にクッキングシートを上からかけて木の落し蓋を乗せると、その上に重石を乗せます。
この状態で、酒・味醂・砂糖・濃口醤油を加えて真っ直ぐな平面に炊き上げる。
重石が重すぎると、鍋底の対流が止まって焦げ始めます。
かと言って、軽いと平面に炊き上がりません。
修行時代には、夏になるとコースの食事を「鯛素麺」で提供していました。
毎日、100名様から入るお店でしたから、使う量も半端でなく、コースに組み込まれた素材は、びっちりと扱う事が出来ました。
その鯛素麺に使う稚鯛の処理方法がツボ抜きです。
魚の鱗を取り去り、口から鰓の外側を通して割箸を突っ込みます。
両側の鰓の外から2本の割り箸を内臓に達するまで突っ込んだら、そのまま割り箸を回転させて、鰓を引きちぎり内臓を絡め取り、抜き取ります。
その後、歯ブラシの様な道具を使って、内臓の汚れや血合いを洗い流す。
ツボ抜きと言うのは、魚体には一切傷をつけずに内臓を取り出し血合いを掃除する手法です。
この方法の何が良いかと言うと、傷をつけないので、この後・・例えば煮物に仕上げる時など、崩れにくいと言う利点があります。
鯛素麺の場合は、この稚鯛を素焼きして、たっぷりと時間を掛けて素麺出汁にするため、とても煮崩れしやすい状態になりますが、魚体の皮や骨、筋肉に傷がついていないので、丁寧に扱えば崩れる事はありません。
我々の世界の言葉で「霜を降る」と言う、専門用語があります。
さっと湯通しをして、表面を加熱により凝固させて白い被膜を作る。
その工程ですが、非常に頻繁に「霜降り」と言う言葉は厨房で登場します。
煮物の場合は、表面に被膜を作り旨味や栄養価の流出を防ぎ、煮汁が濁るのを防ぐ目的もありますが、刺身場でも霜降りをする場合があります。
表面を加熱する事で、食感を変えて生の部分だけの時よりも厚みのある味わいに仕上げる。
例えば、貝類やイカなどは霜を降る事で、加熱された部分に甘味が出ます。
この甘味が、生の部分と重なって、より奥行きのある味わいに感じると言う事です。
小さな魚の水洗いと卸し方の、ちっちゃなお話をお伝えしましょう。
小さな魚を扱う時には、殆どの場合は頭を落とす時に真っ直ぐに片側から包丁を入れます。
カマの下から、斜めに・・頭の後ろには身があるので、なるべくそこを
残す様に斜めに入れます。
我々の世界では袈裟がけに頭を落とす、そんな言葉で表しますが、実はこの落とし方だと、無駄も出ます。
丁寧な落とし方としては、片側から中骨に向かって斜めに切り込むように骨を切ったら、表裏を返して反対側から斜めに切り込む。
つまりは、切り口がV字になる様に切り込むと無駄なく、頭の後ろの身が胴体側に残ります。
小さな魚を扱う時には、スピードが大事です。
茶碗蒸しの手法と言っても、要は生卵を出汁で伸ばして蒸して固める、それだけなのですが、その用途は色々な料理に応用されています。
もちろん、イタリア蒸しにも使っていて、簡単に説明する時は丼サイズの茶碗蒸しです、と言う言葉に集約されますが、職人の間では玉地で寄せた一品と言うことになります。
茶碗蒸しでありながら、プロの中では少しだけ認識が違う一品です。
こう言う料理は他にもありまして、タラやフグの白子を玉地で蒸した一品があります。
「白子蒸し」なんて呼ばれますが、簡単に言えば白子の入った茶碗蒸しですが、職人によって様々なレシピがある料理です。
茶碗蒸しの出汁の中に裏漉しした白子を加え、さらに具としても白子を碗の中に据えて蒸す・・と言うのが多いですが、レシピとしては多彩です。
大体の場合、餡掛けにするのですが醤油色の鼈甲餡(べっこうあん)に仕立てる職人も居れば、色をつけない銀餡に仕立てる職人もいます。
また、他に有名なのは小田巻蒸し。
そう、我々が最も慣れ親しんでいるコロッケですが、あのジャガイモを潰して、僅かに挽肉や野菜を入れて仕立てるスタイルは日本だけのものなのです。
コロッケの語源は「クロケット」。
クロケットには砕くと言う意味があるように、材料を細かく切ってベシャメルソースと合わせて、小麦粉、卵、パン粉をつけて揚げたものでして。
そう、蟹クリームコロッケ・・あのスタイルが正統派・コロッケなのです。
古くはイギリスではメインの一品に、そしてフレンチでは付け合せや前菜のひと品に使われていましたが、現在の日本では完全に主役として扱われています。
ただし、蟹を使った蟹クリームコロッケに留まらず、実は色々なスタイルが古くから考案されています。
マカロニ、コーン、ライス、ハムと玉子や、ローストチキンをベシャメルソースで和えて、コロッケにするスタイルは、今までに何度か見たことがあるのでは。
大根オロシと言うと、我々の若い頃は、料理屋にあっては細かければ細かいほど、丁寧な仕事、と言うような認識がありました。
卸し金に対して、皮を剥いた大根を垂直に当てて、ゆっくりと力をあまり掛けずに、細かい方の目で卸していました。
でも、ある時期から粗い大根オロシにも、魅力があるとの認識に変わってきました。
鬼オロシと呼ばれる、洗濯板よりももっと尖った粗い木のおろしを使って、卸すと言うよりも、細かく割っていくような大根オロシにも適材適所で使えば魅力がある。
プロの間でも、そんな認識に変わって来た様な気がします。
良い刺身とは何か。
もちろん、美味しい刺身ですが、その上、さらに要素があります。
刺身の技術とは、美味しい切り身を造る技術です。
その為に、目利きを勉強し、素材との対話の中から、その素材に最も適した1番良い切り身を切り付ける技術、
それが刺身の技術です。
もちろん、美味しい・・の中には「美しい」と言う要素も大きな割合で
含まれる条件です。
刺身の造り方の中には、美しさと同時に手際の良さや速さ、仕上がりまでのスピードに特化したやり方もあります。
塩、胡椒で底味を調えてマヨネーズでコクを出す、そんな味付けを
紹介したのが、ポテトサラダの仕立て方です。
しかもジャガイモが熱々のうちにベネグレットソースで下味をつけて
いるので、その味わいはより奥行きが出て、深みのある味わいになります。
その仕立て方こそが、本日紹介する塩の使い方の基本です。
ご家庭の料理や、一般的に知られている料理法では、このバランスがバッサリと切り捨てられて紹介されているのをよく見かけます。
ですが、日本人の感覚で言うと、その仕立て方に大きな落とし穴があります。
上等な昆布を使い、本枯れの鰹節をかき立てで使った1番出汁、
たしかに圧倒的な美しさを感じる、最高級の仕事です。
とは言え、その最高級に匹敵する味わいを持つ素材も、和食の
仕事には、あまたあります。
例えば、今の時季・・天然物の桜鯛の中骨やアラに塩を当てて
2~3時間寝かしてから仕立てる潮出汁。
夏場の暑い盛りに、鱧の骨を炙り、そこから引いた鱧出汁。
鮎や北寄貝を焼いて干した後、じっくりと煮出した味わいの汁はひと口吸えば忽然となるほどの、高いレベルの味わいです。
鰹節、昆布の完成度は高い、この事実には何の疑問もありませんが、素材によって、適した方法で正しい仕立て方をすれば、高いレベルの味わいが、実現する。
我々、プロの中でも忘れている者がいるかもしれませんが、ご家庭でのお惣菜の仕事にこそ、生かして頂きたい手法です。
鮮度の良い魚のアラを、塩を当ててしばらく置き、水からゆっくりと
煮出して、淡口醤油で味わいを調えれば、それだけで・・・
かなりの美味を堪能できます。
独り暮らしをはじめた当時、揃えた調理器具といえば土鍋ひとつと
中華鍋ひとつでした。
殆どの料理は、この中華鍋で調理しました。
高校時代に中華料理屋でアルバイトしていた事もあり、自分で作れる料理と言えば、炒め物や旨煮系の中華料理しかありませんでした。
得意だったのは麻婆豆腐。
この一品だけは、何度も何度も作ったので手の込んだものから簡単なものまでレパートリーをいくつも持っていましたが、後は・・・
雑炊ぐらいのものです。
強烈な陽射しを見ると、若い頃に失敗したある料理を思い出します。
それは白瓜の雷干し。
白瓜の種を抜いて筒状にしたものを螺旋に剥いて昆布を入れた
塩水に漬けてから、干すと言う一品ですが、
酢の物に仕立てたり、そのまま漬物に使ったり、またこのわたを掛けて肴の一品に仕上げたりします。
その雷干しを、強烈な日差しの中で干していて、ついうっかり
時間を過ぎてしまったら、カラカラの干物になってしまいました。
水で戻して、何とか食べ物にはなりましたが、苦い経験です。
麻婆豆腐や八宝菜を、ご家庭で作られるのを食べる機会があります。
他所のお宅に伺った時や、自分の奥さんが作る時など。
案外、若い頃は失敗しているのを、お見かけする事や食べなくては
いけないシチュエーションがありましたが、最近では殆どそういう場に出くわすことがなくなりました。
何回も、何回も作っている内に、うちの奥さんなども、上手になったのを実感します。
その失敗例で、1番多かったのはスープの入れ過ぎから、八宝菜と
言うよりはトロミの付いたスープ、つまり汁物の様なバランスに仕上がっている例でした。
八宝菜や麻婆豆腐に使うスープ、水分はぐっと抑えておいても素材から、また水が出てきます。
特に味付けを加えた後には、浸透圧も加わって水分が一気に増えるのでその分を計算して少な目に、スープを加えるのが一つ目のコツです。
あとは、家庭用の火力の弱いコンロで仕上げるので、炒める時に
既に煮物になっている時があります。
先日、自宅では厚揚げや蒟蒻、人参、里芋、牛蒡、竹輪麩などを田舎風に炊いた煮物で、食事を楽しみました。
酒と砂糖と醤油と言う、日本人が最も好む味わいの煮物。
こういう煮物が嫌いな人間はいない・・と言うのが師匠の言葉です。
武内としても、普段のお惣菜には最も好む一品となってます。
本日のお題は、こういう煮物でも少し工夫すると、さらに面白い一品となる一例をお伝えしましょう。
二通りの火の通し加減が、ポイントです。
日本料理でお椀と言うと、吸物の場合は特に、その構成に
固い約束があります。
椀種、椀褄、吸い口を椀に決めて、熱々の汁を注ぐ。
椀種には、その季節を代表するメインになる素材を使い、
椀褄には、添え味・・つまりメインになる素材に対して相性の良い
素材を脇役として添えます。
この脇役の仕事次第で、主役がいっそう輝くと言うのは、言うまでも
ない事ですが、そこに香りを添えるのが「吸い口」の役目です。
例えば春の最中、堀りたての筍と新物の若布を組み合わせた
「若筍椀」と言う一品があります。
スキレットは鋳物製の、分厚い鉄製の蓋付きフライパンです。
ダッチオーブンと言う鋳物製の深鍋をフライパン形状に仕上げた鍋です。
肉を焼く洋食の職人にとっては、肉焼の専用鍋としても重宝されています。
鍋としての保温性が実に高く、余熱を利用して火を通す。
また蓋を熱しておいて、天火焼の様な料理も調理が可能です。
早い話が、ステーキからピザまでも、この鍋で仕上げが可能です。
隠し包丁とは見えない所に包丁で切れ目を入れて内部を確認したり
食べやすくする、または内部の邪魔なものを取り去る仕事です。
例えば魚を丸で1匹、焼魚にする時に裏側から包丁を入れて
内蔵を出しますが、
あれが典型的な隠し包丁です。
大昔、昭和30年代頃の、専門誌を見ると、鮎の様なでも内蔵を
抜いて焼魚にしていた記録があります。
今からは考えられない仕事ですが、当時は流通も良くなかったでしょうし、内蔵付きが、そのまま美味に繋がらない事も多かったのでは、
炊き込みご飯と言うと、生米と共に味を付けた出汁で炊き込む
ご飯を想像なされると思います。
実際に、この方法が最もポピュラーで、しかも旨い仕立て方で
ある事には間違いありません。
最近の日本料理の世界では、色目を良くする・仕上がりの火の
通り方を管理する安易な方法として、別に仕立てた具材を、
出汁で炊いたご飯に混ぜ込むだけ・・・
そんな方法が、まかり通っていますが綺麗な料理が全て、
食べて美味しいかと言うと大きな疑問が残ります。
天ぷらと一口で言っても、専門の職人がその道一筋に没頭しても
極める事の出来ない奥の深い世界です。
極める事の出来ない・・・とは、天ぷら職人の言葉で、もちろん謙遜も
入っているのでしょうが、確かに奥に踏み入れば、さらに奥が見えると言う果てしない道を感じる、
日本料理が誇る、大いに高い技術を要する仕事です。
武内も、今となってはどなたかに弟子入りして勉強すると言うのは
不可能に近い事ですが、幸いにして書籍や文献で古今の職人の
仕事を勉強する事が出来ます。
これは実にありがたい事です。
さて、我々和食の人間は、どうしても火の入れ方と言っても
素材は魚を中心に考えてしまします。
まず1番に、魚の切り身に火を入れる事を考えたら、この手法です。
「ポワレ」
フライパンの中で、油を引き一気に火を入れますが皮目をパリッと
焼きあげて、身はふっくらと火を通す。
この一点に尽きます。
全てが目に見える状態で、一気に焼きあげられるので1番シンプルですが
だけに、調理技術の高い低いが、顕著に表れる手法です。